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2017年3月15日 - 書評のコーナー ~番外編(すこしくどい漫画論)~

今までこのコーナーでは漫画は扱ってきませんでしたが、実は漫画も相当大好きなのです。取り上げなかった理由としては幾つかありまして、一般に漫画が小説よりも格下に見られていることがまず挙げられます。電車内で漫画を読んでいると、何か見下すような目で見られます。特に紙媒体で読んでいると顕著です。被害妄想かもしれませんが。実際の所は、漫画でも十分教養の糧になるものもあれば、逆に小説でも読むに堪えない駄文もたくさんあります。要は、説明手法が絵であるか活字であるかの違いだけで、内容さえよければ十分評価の対象となり得ると思っております。料理漫画や格闘もの、医療ものに関しては、百聞は一見にしかずの諺の通り、活字よりも絵の方が情報量で圧倒します。

そして、今まで取り扱わなかった最大の理由は、漫画論評の難しさにあります。当初、面白いと評価していても後に駄作になってしまうことが時々あるのです。と云うのも、漫画が小説に比べると圧倒的に商業性が高いことに一因があるのです。小説は基本的に書き下ろしです。そして雑誌に連載であってもせいぜい1-2年、年に2-3回の不定期連載は普通なので、突然終了しても雑誌の売り上げには殆ど影響はありません。一方、漫画は基本的に毎週連載です。そして人気漫画になると5年連載はざらに出てきます。ここに漫画の商業性の難しさが出てくるのです。人気が出ると辞められないのです。単行本も20巻を超えると、読み手もそろそろこのクライマックスで終わるだろう、いや終わってほしいと思いながら読んでいるのです。しかしながら週刊誌側としては、看板の人気漫画は少しでも長く続けたいという大人の事情が働きます。その結果、第二部が始まったり、新手の敵が現れたりしてストーリーは支離滅裂になって行くのです。ジャンプの「NARUTO」、チャンピオンの「刃牙」が良い例です。前半が良かっただけに非常に残念です。私見ですが、格闘ものではトーナメント戦が始まると佳境から終盤、そして最後にとんでもない敵が出てきて、今迄戦ってきた敵(ピッコロ大魔王やベジータ等々)と手を組んで一緒に戦って終わりが少年漫画の王道だと思っています。そしてこの盛り上がり上手に取り込んで次の話の展開に生かせるかが漫画家の腕の見せ所かと思います。この辺り、「ドラゴンボール」上手でした。Zシリーズまで引っ張ると些かいただけませんが。一方、マガジンの「フェアリー・テイル」はイグニールはじめ、竜が沢山出て来たあたりから展開が雑になってきました。ストーリー展開も荒く、似たような竜のキャラを見開きで続々登場させます。これらをどう纏めるのか、今後を見守ります。しかしこのあたりは、週刊連載なのでネタ切れと云う致し方ない側面もあるのでしょう。逆に、上手に話に区切りをつけながら長期連載しているのが「ONE PIECE」です。敵は敵、味方は味方とはっきりしていて作者のメッセージが明瞭に伝わってきます。仲間を守って勧善懲悪の軸足はぶれません。「NARUTO」後半に出てくるゼツのような思わせぶりの半端なキャラはいません。最初ゼツは伏線の為のキャラかと思っていたのですが、ものすごく強い割には最後まで立ち位置不明で、結果ストーリーが混乱する原因になってしまいました。もともと後半部は何が言いたいのか解らなくなってきていたのですが、ゼツが登場するたびに読者は惑います。一つのキャラが作品の負のスパイラルの拍車をかける好例かと思います。

さらに、作者が漫画で思想発表してしまう場合も困ります。「美味しんぼ」は、非常に良くできた料理漫画でグルメブームの牽引役と云っても過言ではないでしょう。しかしながら、全国ご当地グルメ旅のあたりからおかしくなってきて、郷土料理紹介で紙面を稼ぎ、とうとう最後は福島原発問題まで扱うような、およそ料理漫画とは思えない思想的漫画に成り果ててしまいました。「ブラックジャックによろしく」も、最初の数巻は現代の医療事情を詳らかにする良い出来だったのですが、途中からおかしくなってしまいました。残念です。作者の思想が偏っている場合は矯正の仕様がないのですが、残念なのが、特定の層のファンレターに引っ張られてその人たちを満足させるような構成になり、話がズレズレになってしまう場合です。一旦ストーリーがズレ始めると普通の読者は離れて行きます。そして残るのは熱烈な偏向ファン層です。その結果、ズレた作品を熱心に褒め称えてくれる偏向ファンに阿る(おもねる)ような作品へと変質してしまうのでしょう。

 

そこで、この原因はどこにあるのか私なりに考察してみました。最近の漫画家は、例外もありますが基本的に編集者と二人三脚で作品を練って行きます。絵コンテという下書きをもとにして編集者と今後の展開を練って行きます。鳴かず飛ばずの連載初期を一緒に考え軌道修正しながら漫画は育ってゆきます。しかしながら、編集者はサラリーマンなので異動がつきものです。良い編集者は新人発掘も仕事の一つなので、作品が軌道に乗れば担当替えもあり得ます。そして新しい担当者が経験不足であったりすると、既に大先生になった漫画家には意見が言えなくなり、独りよがりの作品へと暴走してゆくのではないでしょうか。漫画出版業界の裏側は、「バクマン。51Aie2cf9FL._SY259_BO1,204,203,200_[1]」に詳述されております。これは一読の価値ありです。

逆に、昭和の大御所は編集者と二人三脚などとんでもない。編集者は借金の取り立て役のような役回りで、逃げる漫画家をどれだけ追いつめて原稿を取るかが仕事でした。漫画家は追いつめられて作品を絞り出してゆきます。そのためか、大御所の漫画にはブレがないのです。手塚治虫は「ブッダ」「火の鳥」で、人間とは何か生きるとは何かを力の限り描いております。石ノ森章太郎は限りなく格好よさを追及しております。「ゴルゴ13」のさいとうたかおは、自分が没した後の作品の最終稿をすでに作っていると聞いております。

一方、編集者のエピソードも豪快で、東京から逃げる手塚治虫を九州まで追いかけて旅館に缶詰めにして原稿を描かせたり、アメリカの祭典に出席するときも付いて行ってホテルで原稿待ちをします。それほど漫画家を追いつめて原稿を取りに行きます。そして万が一、原稿が落ちそうになったら(〆切に間に合わなかったら)、印刷会社に行って他社の輪転機を止めようとしたそうです。作者も編集者も必死です。この辺りは、「ブラックジャック創作秘話」に詳述されております。

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漫画について少し書くつもりが、濃い漫画論になってしまいました。放っておくと薄い新書一冊分は書いてしまいそうなので、この辺でお暇します。

と云う訳で、今後は漫画も書評のコーナーに登場します。性格的に、薀蓄物の面倒臭い漫画をセレクトしてしまいそうですが、それはそれでお付き合いくださいませ。